歌の練習【歌手と役者に見る歌唱表現の違い】
最近、究極に俯瞰で
歌というのを見るようになって
完全に腑に落ちて
確信したことがある。
長年、どうして同じ歌でも
専業シンガー(ミュージシャン)と
役者とでこうも別モノのように異なるものか
ずっとその意味・理由を
内心、疑問に思い続けてきた。
なんとなくわかっていたのは
役者には歌とは別の「世界観」が
ある場合が多いということ。
それを広く一般的には
”表現力”とか”感情移入”みたいに
呼ぶことが多いけれど
果たしてその根拠というか
理窟はどこから来ているのか
それを明文化できずにいた。
役者の歌に潜む世界観が
一体どうやって生まれるのか?
どうしてそれが音楽屋にはないのか?
(そうじゃない歌い手も中にはいるが)
とても不思議だったけれど
一つの結論が自分の中で明文化されて
とても腑に落ちた。
専業シンガーと役者の歌の違い
それは歌そのものへの物理的解釈の
「基準の違い」
シンガーは歌を
メロディーに言葉が乗っているもの
と捉えて歌うのに対して
役者は歌を
言葉にメロディーが乗っているもの
と捉えて歌う。
音楽屋が目指すものは基本
より完璧な「音」の集大成であり
役者が目指すものは多分
より極限の「言葉(心理)」の世界
なんじゃないだろうか。
歌を目指すときその多くが
馬鹿の一つ覚えみたいにやる
ボイトレとかいうやつから
誰でも学べる技術なんてのは
その”極限の言葉の世界”を
最大限表現するために必要な
一手段に過ぎない。
私がつねづね
技術なんか最低限の合格ラインあれば良い
と言ってるのはおそらくそれと同義だ。
そもそもの根本と始点がこれだけ違っていて
鍛錬によってそれなりに技術もついてくれば
ほぼ音だけ主体に追っている
専業シンガーに勝ち目がないのは
とても腑に落ちる話ではあるまいか?
つい最近、家人がちょうど
このテーマについて私に質問してきた。
一体何が違うんだろうね、と。
私がこの歌唱哲学を
回答として家人に伝えたところ
ものすごく腑に落ちた様子だった。
音楽は音の世界なのだから基本的に
音を追求すればいいのだとは私も思う。
ただ歌というのは特殊で
単なる音楽を構成する音の一要素
としてだけ語れるものでもない。
分かるようで分からなかった
この謎解きのような歌唱哲学の答えが
生きてるうちに自分なりだけれど
紐どけてとりあえずよかった。
気づいてしまえばこんな簡単なことが
人間の目にはなかなか分からないもんだ。