歌の練習【藤井風の歌唱再現性】
歌の道を志す人たちに
必ず認識しておいてもらいたい
とても重要なことがある。
すごく実用的なお話だが
実を言うとこういうことを
さらっとでもいいから教えてくれた
大人の指導者は私が知る限り
少なくとも私の身辺には一人もいない。
そもそも歌うという行為は
下手かろうが上手かろうが
その時点で感情面まで含まれる
かなり高度な知能行為である。
複数の動作を併行し
その上、技術や表現の高さまで
意識するわけなので
極論すると宇宙的行為とも
私などは本音言うと思っている。
まあ今回は
そんな極論的な話をしたいわけではなく
このようにとても高度な
歌唱という行為ゆえに
多くの歌唱者が見落としがちな
絶対本質が一つある、ということ
これをお伝えしておきたい。
今ではすっかり知られる人となったが
2020年ごろから巷でにわかに評判になった
藤井風さんというシンガーがいる。
この人は色んな意味で
まさに今っぽいシンガーさんだと
私などは思うわけなのだが、
絶妙な声質のバランスの良さだったり
全般的な歌唱スキルの高さは勿論
何がすごいかというと【歌唱再現性】
(こんな定型理論はないので仮にそう呼ぶ)
なのではないかと思っている。
この歌唱再現性とは何かというと
自分がこうかなと思うアウトプット行為と
実際に人が耳するその歌唱の
”一致性”
のようなもの。
通常、人が歌って声を発しても
自分の耳の中で鳴っている声や歌唱は
他者が実際に耳にするものとは
どういうわけか異なることが多いのだ。
※考えたら分かることだが歌い手は体が楽器であるために
そういう矛盾現象が起こることになる※
とても残念なことだがこれが現実で
それに気づくのはだいたい録音時なんだが、
一般的な音楽屋やシンガーというのは
それを録音経験値の積み重ねによって
それなりに多くの時間をかけて
統計論的に身につけていくと思う。
だが藤井氏はどうもそこのところの
様子が違う匂いがする。
それで先日あったのが
家人との外出中のこの会話だ。
想像するにこの人は
自分の中で歌唱アウトプットを
もともと他者が実際に耳にする状態と
ほぼ乖離のない状態でかなり具体的に
イメージすることができるのだろう。
これはとてもとても特殊な能力であり
神のギフトとしか言いようがない。
つまり彼は選ばれし人ということだ。
こんなことをやろうと思って
取り組むほうが不毛なので
並みのシンガーはまっとうに録音経験か
それ相応の経験値をつける中で
己のイメージアウトプットと
リアルの乖離を埋める肌感覚を
身につけていくほかない。
実際に私も10年ほど前から
歌唱録音をこんなにも日常的に
行う生活になる前までは
まあ適当なイメージで歌っていたな
と今は感じているし
自分が良いと思って発したはずのものが
実際にはさほどでもなかったりとか
逆に自分が大して良くないなと思っても
プレイバックをチェックすると
思いのほか良かった、なんてことが
それなりに経験を積んだはずの今でもざらにある。
歌う、という行為そのものは
自分の意志で行う本来主観的なものだが
同時に発した後のものについてはあくまで
俯瞰で客観的に捉える必要があるのだ。
プロのシンガーというのは
意識の有無に関わらず
このポイントはどこかで理解している。
一方的に発するだけの視点ではなく
発した後がある種の物理的・物質的に
どうなのか?ということを意識して歌う。
これを考えなくてもできるようになる
これは数多くあるプロとしての歌唱行為に
必要な基本事項の一つに過ぎないが
こういうことを一つずつ積み上げ
しっかりと腹に落とし自身の血肉として
身につけていくことこそが鍛錬なのである。